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政策

ささ山良孝

《はじめに》
 私自分の出身地である田川市が抱える課題について整理し、その課題が生じた原因と、その解決のために田川市がとるべき政策について考察する。
田川市はかつて石炭で栄えた町であり、炭鉱閉山後は「石炭六法」「地対財特法」等の時限立法に支えられて来たが、それら時限立法は平成13年度末をもって失効した。高度経済成長によるエネルギー政策の転換により、生活や就労に関して多くの課題を抱えたまま現在に至っている、旧産炭地である。
田川市における石炭産業の全盛期は人口102、000人ほどを擁していたが、現在の人口は約48、000人と半分を割るまでに激減している。
 私は、昭和57年から老人福祉事業に携わり、昭和62年からは田川市議会議員として5期20年間を務めた。その間は、議会で高齢者の介護問題、駅前開発、商店街の活性化、国道、県道等のインフラ、下水道整備等の都市計画についての提言を行ってきたが、その経緯も含めて政治が抱える問題との関わりで議論を進めたい。
 
《田川市の概況について》
 田川市は福岡県の北東部に位置し、市域は東西約9㎞、南北14㎞、面積は54.55k㎡である。古くから大陸文化が伝えられ、彦山川、中元寺川沿いの穀倉地帯として繁栄してきた。明治以降の近代化において大手資本の炭鉱開発が始まり、わが国の産業を支えるエネルギー資源の供給地として経済発展の原動力となり、大きな役割を果たしてきた。その発展を支えるために労働力の集中が求められ、九州一円および山口、広島周辺からの労働力の流入によって急速に人口が増加した。
 しかしながら、昭和30年代に入ると高度経済成長政策によって石炭から石油へとエネルギー政策の転換が進み、23鉱を数えた大手・中小炭鉱は次々と閉山した。そして昭和40年代中頃を最後に、本市の石炭産業は完全に終息することとなった。
 石炭産業とともに栄えてきた田川市の人口は、この基幹産業の崩壊によって急激に減少した。石炭産業によって繁栄していた経済基盤は壊滅的な打撃を受け、多数の離職者が発生した。新たな仕事を求めて石炭産業に従事していた多くの労働者とその家族は、第2次産業を中心とする4大工業地帯へと転出したのである。
この4大工業地帯とは京浜工業地帯、中京工業地帯、阪神工業地帯、北九州工業地帯である。多くの炭鉱労働者およびその家族は、この4大工業地帯で発展した第2次産業による工場労働者として吸収されていったのである。
田川市に残った労働者とその家族は、新たな職に就くこともできないままに無職となり、その結果、生活困窮者が急増した。貧困の再生産と指摘される今日的課題は、当時の炭鉱労働者の孫にあたる子どもたちの低学歴、低学力の問題のとしても把握できよう。
また、老朽炭鉱住宅や地盤沈下などの鉱害、ボタ山対策等困難な石炭産業の後遺症対策とでも指摘できるに問題に直面し、これらの問題に対応する中で、市財政は窮乏の極みに達した。
 このような情勢の中で、昭和45年4月に制定された「過疎地域対策緊急措置法」、
次いで制定された「過疎地域振興特別措置法」そして平成12年に制定された「過疎地域自立促進特別措置法」(以下「過疎法」という)及び「産炭地域振興臨時措置法」をはじめとした「石炭六法」や「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」(以下「地対財特法」という)等に支えられながら、住宅団地の造成による定住人口の確保、工業団地の造成、企業誘致による雇用の拡大、社会教育施設による教育文化の振興等長期展望のもとに再生復興を図るべく努力を続けてきた。しかし、いまだに旧産炭地域としての、先に指摘した状況から脱却が出来ていないままである。
加えて、これまで田川市の社会経済等を支えてきた「石炭六法」「地対財特法」が平成13年度をもって失効したことにより、市の財源確保は困難を増すことになった。
 また、ここバブル経済崩壊後の不況に伴い、誘致企業の撤退が相次いだ。例えば、平成15年9月には、旧三井鉱山株式会社(現日本コークス工業株式会社)が産業再生機構から支援を受けることとなり、また、石炭産業崩壊後、地域産業の中心となっていたその子会社である三井鉱山セメント株式会社も、平成16年3月31日をもって田川市から撤退した。
 サブプライムローン問題を発端とする世界的金融危機による同時不況の影響等により、企業の進出・投資意欲が急激に減退し、田川市を取り巻く情勢は厳しいものとなっている。このような中、平成20年に、長年の懸案事項でもあった白鳥工業団地の空き区画において、大型物流センターが稼働し、現在1、000人以上の大規模な雇用の場が確保されているものの、地域経済の活性化を期待できるほどの労働の場は見通すことができていない。

《人口及び産業の推移と動向について》
 田川市の人口は、昭和33年7月(住民基本台帳)に102,755人に達したが、昭和35年から昭和45年にかけて、その数は急激に減少し、平成28年3月末現在(住民基本台帳)では49、000人となっている。これは石炭産業の衰退による炭鉱関係者およびその家族や、若年層の就労、就学による転出である。昭和50年以降、減少傾向は鈍化したものの依然として減少を続けている。
 年齢別階層別人口構造では15歳~29歳の若年者比率は、昭和35年では24.6%であったものが、平成27年には13.3%と減少している。反面、65歳以上の高齢者比率は31.9%となっている。このように田川市では、少子・高齢化の進行が他の地域よりも急速に進み、過疎化の現象が端的に表れている。この傾向は今後も続くものとみられる。
 また、産業別人口の動向を構成比でみると、第一次産業は、昭和35年では8.9%であったものが平成27年には1.6%にまで激減している。これは農業経営規模が零細であることや経営基盤の脆弱さによる離農を表しており、後継者不足も深刻な要因であると考えられる。
 第二次産業は、昭和35年では49.9%であったものが、平成27年には22.9%に減少している。これは石炭産業の衰退による鉱業に携わる就労人口の減少によるものである。その後、一時的に建設業、製造業が増加したが、これは「石炭六法」等による公共事業・鉱害復旧事業等の建設業、企業誘致によって増加したものである。
 第三次産業は、昭和35年では41.2%であったが斬次増加し、平成27年には71.9%に達している。この現象は全国的な傾向であり、小売業及び外食産業等の伸展によるサービス業が増加したものである。さらに、第一次及び第二次産業人口が激減した影響によるものとみられるが、サービス業の増加が地域経済の回復を期待できるほどの伸びを示しているわけでは決してない。

《行財政の状況について》
 石炭産業終息後、田川市は前述のとおり、「石炭六法」、「過疎法」、地対財特法」等の時限立法に支えられながら、地域振興を図ってきた。
自主財源の乏しい田川市は、石炭産業終息後に生じた諸問題対策としての社会資本の整備を、「石炭六法」関連の国庫補助事業を最大限活用することにより行ってきた。その結果、公債費や人件費の経費が大きく膨らみ、同規模の自治体と比較すると、田川市の財政規模は著しく肥大化したものとなっている。
 平成28年度の決算状況では、自主財源の根幹である税収入は歳入総額の17%に過ぎず、近隣市の税収入約26%と比較して大幅に低率である。その結果、地方交付税や国庫支出金に支えられた国依存の歳入構造となっている。
一方、歳出面では公債費や扶助費等の義務的経費が54.7%を占めている。さらに、財政力指数も0.41前後で推移しており、今後も極めて厳しい財政運営を強いられることが予想される。
 そのような状況の中、田川市においては、昭和60年に第1次、昭和63年に第2次、平成8年に第3次の行政改革を行い、平成13年度には直面する財政危機を乗り切るために『緊急財政改革検討委員会』、翌年度には『第二次緊急財政改革検討委員会』を設置し、「財政健全化計画」をたてて、経費の削減等に努めてきた。さらに、平成15年度に行政改革推進委員会を設置し、平成15年12月に41の提言からなる答申を受け、その答申を基に平成16年12月に田川市第四次行政改革大綱を策定し、行政改革を推進してきた。
 しかし、長引く地域経済の低迷や三井鉱山セメント株式会社等の主要企業の撤退、また、国の三位一体改革の改革党の影響により、田川市の財政状況は以前よりも増して危機的な状況に陥っている。現在は、基金を取り崩すことでかろうじて収支の均衡を保っているが、現状のままでは、近い将来、基金による調整も不可能になる見通しである。

《考察について》
 田川市は四方を山々に囲まれた盆地で、陸の孤島と呼ばれるほど交通の利便性が悪い地域であった。しかし、平成21年3月に30数年来の地域住民の念願であった"飯塚庄内田川バイバス"の"筑豊烏尾トンネル"が開通したことにより、福岡都市圏までのアクセスが上昇した。これを利用して、田川市の振興発展に寄与することが期待されている。
 また、国道201号線及び322号線を基幹とし、北九州市呼野と採銅所間を結ぶトンネルも新規建設でき北九州とのアクセスも改善できた。
 交通アクセスの改善は、「人、物、金」を集中するための基本的条件である。しかし、街づくりの根幹である生活に必要な下水道の整備ができてないことが今後の最大の課題として上げられる。私はインフラストラクチャーの整備を議会の中で再三訴えてきたが、未だに課題解決に向けた取り組みに着手する様子はない。
私の政治の師である故・滝井義高元市長は名物市長と言われたが、財源問題や議会の考え方、長期的に取り組まなければ得られない利益に対してはなかなか得られない市民的合意などを目の前にして、自ら目指す政治が出来なかったと漏らしていたのを覚えている。
 例えば、田川市は未だにし尿処理を汲み取り業者に委託して行っている。下水道整備が実現出来れば汲み取り業者の仕事はなくなるので、当然し尿組合は下水道整備に対して抗議して来る。そこに組合による立候補者の推薦や、選挙応援の問題が浮上する。
政治家は落選すればただの一市民となるため、業者と政治家の利害関係が生じ、地域復興のための政策が頓挫したり廃案になったりするのである。
その他には、国および自治体が、旧炭鉱住宅地区改良事業法を強力に推進してきたことに由来する問題がある。その結果、旧炭鉱住宅地区の住環境は大きく改善されたものの、市営住宅の保有戸数は5,023戸と、同規模の自治体では他に類を見ないほどの個数を保有するに至った。その結果、市営住宅の維持管理に関わる費用が市の財政を圧迫し、最大の課題として「負の遺産」となっている。
このうちの1、800戸余りが旧炭鉱住宅の政策家賃(以前の炭鉱住宅の家賃、3DK・15、000円ほど)として保護されている。
 下水道整備には先に述べたように、し尿業者の同意を取り付けて市民の同意のもとに事業計画を立てる。当然し尿業者は長年汲み取り業で生活を支えてきたのであるから、下水道が出来ればどれだけ生活に影響がでるのか、また浄化槽の維持管理を含め今後下水道整備完了後、下水道業者、従事者に生活収入にどのくらいの影響がでるのか、行政が説明責任を果たすことが大切である。下水道の費用は推定600億円かかるとも言われているが、国、県の補助金を受ければ10%位が田川市の実費負担ではないかと思う。企業誘致、特に製造業者を誘致するには下水道整備は必要不可欠である。出来れば合わせて上水道の整備もする必要がある。
 公営住宅5、000戸の維持管理問題については、人口に見合った保有戸数の見直しを早急に図り、政策家賃については、段階的に公営住宅家賃までに引き上げることによって、家賃収入を確保することが急務であると考える。また、空き家対策として低家賃で市外の住民も受け入れる体制も必要である。
政治課題としては、喫緊に行財政改革を断行して、早い時期に田川市は、北九州市に隣接する香春町と対等合併することにより、北九州圏に経済活動の軸足を置き、北九州市のベットタウンとしての街づくりを推進すべきであろう。さらには北九州市への編入合併を果たすことを視野に入れることが求められているのだと考える。
困難であるが、少なくとも10年から20年後の市政を見通した議会のあり方が必要である。